事実:AIネイティブの商業モデルを構築した診断薬大手の数字

ボストン コンサルティング グループ(BCG)は、メドテック(医療機器・医療技術)企業の商業モデルに関するベンチマーク調査の結果を公表した。過去15年で4回実施してきた一連のグローバル調査で、延べ1万人超の従業員に自社の商業面の準備度を評価してもらい、150社のメドテック事業をP&L(損益)および組織データに基づいてベンチマークし、経営幹部へのインタビューも行っている。

今回の調査で事例として取り上げられたのは、カスタマージャーニー、営業執行、プライシング、コマーシャルオペレーション、カスタマーサービスの全域にAIを組み込み、商業モデルそのものを作り変えた世界的な診断薬企業である。当初は個別のAIパイロットから始めたが、散発的な取り組みをやめ、より少数の大きなAI機会を軸に商業オペレーティングモデルを再設計する方針に切り替えた。

具体的な成果として、次の数字が挙げられている。

  • 自然言語で問い合わせできるAI対応ポータルを顧客接点の単一の入口として導入し、顧客からの要請への応答時間を最大6日から数分へ短縮した。
  • 約300人の営業担当者が数万の顧客を担当する体制のもと、顧客とのやり取り、購買履歴、設置ベース情報、CRMデータ、サービス活動、予測分析を一つの画面に統合したコマーシャルプラットフォームを構築。ネクストベストアクションの推奨、クロスセル・アップセル機会の特定、解約リスク顧客の抽出などを日常業務のダッシュボードに組み込んだ結果、顧客が製品推奨に沿って行動する確率が2倍になった。
  • 顧客特性、購買行動、競合状況、商業目標に基づくAI支援のプライシングと、調達部門の反論への対応を練習できるAI交渉シミュレーターを導入。年次の価格改定プロセスにおいて価格の受け入れ(price adoption)が1.5ポイント上昇した。

これらを個別のIT案件ではなく相互に連結した一つの商業変革として扱った結果、成長の加速とマージン改善を通じてEBITDAが2ポイント押し上げられる見込みだという。必要となる設備投資総額のおよそ3倍に相当する効果で、追加の運営コストはごくわずかとされる。

背景:「ミルクマン・モデル」からの15年

BCGの一連の調査は、世界金融危機後の厳しい医療環境を受けて始まった。最初の調査「Fixing the Medtech Commercial Model」は、営業担当者が医師を頻繁に対面訪問するという旧来型のモデル(ミルクマン・モデル)に業界が依存していると結論づけ、高い粗利益率が持続不可能な高コストと未発達な商業スキルを覆い隠していると指摘した。

2017年の追跡調査「Moving Beyond the 'Milkman' Model in Medtech」では、粗利益率への圧力が高まっていたにもかかわらず業界の進展は限定的だったと評価された。一方で、提言された変革に着手した企業は市場で勝ち、メドテック指数の平均を10ポイント上回る年間株主リターンを生んでいた。2021年の調査「The Rise of the Next Generation of Medtech 'Milkmen'」は、社内体制を考える前に理想の顧客ジャーニーを設計し、マーケティングをリード獲得の先頭に置き、テクノロジーとデータに支えられた「バイオニック営業部隊」をつくり、販売後のカスタマーサクセスに注力する次世代オムニチャネルモデルを提示。ここでも、提言を実行した企業は同業他社を上回り、株主リターンで10ポイントの差をつけていた。

市場環境としては、多くの国の高齢化、アクセスの改善、ヘルスケアの消費者化を背景に世界のメドテック市場は底堅い。他方で、規制強化、公的な費用抑制圧力、ペイヤーとプロバイダーの統合という従来からの逆風に加え、地政学的混乱や関税に絡む不確実性という新しい課題も加わり、革新的な低価格プレーヤーが既存企業からシェアを奪い続けている。

意味:コスト削減と成長の二者択一を超える

BCGによれば、メドテックCEOの多くがAIを最優先課題の一つに挙げているが、多くの企業はAIから価値を引き出せずにいる。また今回の調査でも、世界のメドテック企業の経営層は自社の商業オペレーション、とりわけ次世代の商業ケイパビリティの成熟度を「基礎から中級」程度としか評価しておらず、過去の調査結果と変わっていない。商業イノベーションの速度の遅さと新しいケイパビリティの導入の遅さが足かせになっている一方、先行者利益を取りにいき、商業オペレーションを競争優位の源泉として扱う企業も現れている。

ここが業界にとっての分かれ目になる。収益性改善のためにコスト削減に向かう企業は多いが、BCGはそれだけでは長期的な株主リターンは生まれず、優先すべきは収益性のある成長の加速だと指摘する。従来の施策が「商業コストを下げる」か「成長を加速する」かのどちらかだったのに対し、AIは商業オペレーションを同時にリーンかつ生産的にし、マージンと売上の両方に効く――この二者択一からの脱却が、今回示された主張の核である。

AIは過去3回の調査が示してきた勝ち筋を置き換えるものではなく、それを強化し、顧客エンゲージメントの自動化とパーソナライズによって追加の効果を引き出す次の一歩と位置づけられている。営業担当者を代替するものでもない。適切なガバナンスと人間の関与(humans in the loop)があれば、営業担当者はより強く、より生産的になり、BCGの経験では仕事への満足度とエンゲージメントも高まるという。日本のメドテック・製薬の商業部門にとっても、パイロットの乱立で終わらせず、少数の大きな機会に資源を集中して商業モデル全体を設計し直せるかが問われることになる。