何が行われたか
2026年9月、マッキンゼーは病院経営者を対象としたカンファレンスを国内で初めて東京で開催した。20名以上の理事長、病院長が参加し、医療経営の観点から「医療における生成AI」と「医療機関経営のリーダーシップ」が議論された。同社の報告は、このうち主に生成AIの進展と活用を扱っている。執筆は東京オフィスのパートナーである反田篤志氏、同オフィスの柴田俊明氏、赤羽根直樹氏。
議論の前提として示されたのは、医療提供の生産性の問題である。過去約25年間、小売業や保険業を含む他のサービス業全体の生産性が5割以上向上したのに対し、医療提供の生産性は横ばい、あるいは低下した。技術を導入したことで、かえって記録作成などの事務業務が増えたことも一因と考えられる、との指摘がなされている。ここから導かれる示唆は、既存業務をそのままデジタル化するのではなく、業務そのものを再設計する必要がある、というものだ。
コンピューティングが「計算」、インターネットが「情報流通」、クラウドが「アクセス」の限界費用をゼロに近づけてきたのに続き、生成AIは知的作業の限界費用を引き下げることが期待される、という整理も示された。
欧米の導入状況と、価値が顕在化しつつある4領域
調査数値は次のとおりである。米国(2026年第2四半期調査、医療機関40、保険者40、医療サービス・テクノロジー企業40)では、生成AIを導入済みの組織が58%、概念実証(PoC)を実施中が34%で、合わせて92%。医療機関の重点領域は臨床業務の生産性向上(43%)、請求・収益管理(40%)、患者エンゲージメント(28%)、事務業務の効率化(25%)。
欧州・中東・アフリカ(2025年第4四半期調査、保険者27、医療機関91)では、導入済み42%、PoC実施中36%で合わせて78%。主な活用領域は管理業務(51%)、医療データの分析・臨床意思決定支援(42%)、診療記録作成・環境型スクライブ(37%)で、回答した医療機関の半数以上が2〜5件のユースケースを本番稼働させている。関心は単一タスク支援から、複数のAIが計画・実行・検証を分担するエージェント型AI(マルチエージェント)へと移りつつあり、米国の医療機関では7割超が導入済みまたは試行中である。
価値が顕在化しつつある領域として挙げられたのは、患者アクセスと体験、ケア提供モデルの再設計、臨床オペレーション、非臨床・管理業務の4つ。具体例も示された。Hippocratic AI(米国)は診断を伴わない場面で患者と電話で対話するAIケアアシスタントを提供し、2025年11月時点で6カ国の50を超える医療システム、保険者、製薬企業と提携、患者とのやりとりは累計1億1,500万件を超えたと公表している。Universal Health Servicesは退院後の患者へのAI電話対応を2病院で開始し、評価は10点満点で平均9.0点、他拠点へ展開中。英国のGuy's and St Thomas' NHS Foundation Trustは、初診待ち約5.3万人、手術待ち約2.5万人を当初の対象とする取り組み「PATH」を2025年6月に開始した。
臨床オペレーションでは環境型スクライブの普及が進む。Microsoftの環境型スクライブは2025年3月時点で、直近1カ月間に約600の医療機関で300万件超の診察に利用された。Kaiser Permanenteは2023年10月に北カリフォルニアの医師約1万人を対象に本番導入し、2024年8月から全8地域に展開。最初の63週間で約7,300人の医師が約260万件の診療で利用し、記録作成時間を延べ約16,000時間削減した。Epicは米国の急性期病院の電子カルテ市場で4割超のシェアを持ち、顧客の8割超が生成AIを利用しているという。管理業務ではOptumが2025年10月に「Optum Real」の提供を開始し、Allina Healthでの5,000件超の外来診察を対象とした試験運用で、回避可能な査定・返戻が最大8割、請求誤りが最大75%減少したとしている。
成功の単位は「ドメイン」
報告が強調するのは、導入の単位である。全職員に生成AIを配る広範な導入では効果が分散しうる一方、対象を限定しすぎた導入では十分な投資効果につながらない場合がある。業種横断の調査では、約9割の組織がAIを利用している一方、AI活用によってEBIT(利払前・税引前利益)の5%以上に相当する効果を得て、かつ大きな価値を実感している組織は1割未満であった。
対応として示されたのが、請求・収益管理、購買・物流、入院オペレーション、救急・手術室運営、臨床人材、患者アクセス、IT、コンタクトセンターなど、業務プロセスとしてまとまりのある「ドメイン」を単位とする変革である。医療機関の業務は12のドメインに整理できるとされ、出発点はドメインの一覧ではなく「自院の経営課題は何か」という問いだ、と位置付けられた。会場からは「AIの取り組みを病院全体の成果にどうつなげるかを模索している」「投資対効果について、具体的な事例を知りたい」といった反応があった。
何が変わるか
この報告から読み取れるのは、欧米では生成AIの議論がすでに「導入するか」から「どの単位で、どの課題に対して導入するか」へ移っているということだ。米国92%、欧州・中東・アフリカ78%という導入済み・PoC実施中の比率は、本格展開の段階への移行を示す数字である。他方で、EBITの5%以上の効果を実感している組織が1割未満という数字は、導入そのものが成果を保証しないことも同時に示している。
製薬業界にとっても無関係ではない。Hippocratic AIの提携先には製薬企業が含まれており、患者との接点を担うAIが医療システムや保険者と並ぶ形で広がっている。病院側で請求・収益管理や臨床オペレーションの業務プロセスが再設計されれば、そこに接続する側の前提も変わる。国内初のカンファレンスが東京で開かれたこと自体が、この議論が日本の医療機関経営の議題に上がり始めたことを示している。