何があったか
2026年8月28日、合同会社デロイト トーマツとAnaplan Japanは、「不確実性下における経営の舵取り」をテーマとするラウンドテーブルを開催した。製薬企業の経営企画、生産、サプライチェーンなどに携わる参加者が集まり、意思決定モデルの変革から全社の投資管理、サプライチェーン改革、AI活用まで、実務上の課題が議論された。
冒頭、デロイト トーマツのパートナー上西洋一は、天気予報やカーナビを例に、状況の変化に応じて判断を更新することの意義を説明した。出発時に最適だった経路も、道路の状況が変われば見直す必要がある。経営でも、判断時点の予測精度に加え、新しい情報を取り込み、繰り返し意思決定できる仕組みが重要になるという問題提起である。
議論の前提にあるのは、製薬業特有の時間差だ。臨床試験の結果や競合の動向によって開発品の将来性も必要な生産能力も変わる一方、製造設備の整備には長い時間がかかり、医薬品の安定供給も維持しなければならない。変化を捉え、投資や供給の判断を適切なタイミングで更新する力が求められる、という整理である。
シナリオと投資ポートフォリオ
最初のセッションでは、パートナーの磯上孝博が製薬業界の意思決定に求められる変化を整理した。研究から開発、上市までの期間が長い製薬業界では、精緻な長期計画を立て、案件を着実に進めることが重視されてきた。しかし事業環境が複雑化するなかでは、複数の戦略オプションを持ち、状況に応じて選び直すことが必要になる。
磯上が示したのは、シナリオの数を増やすだけで終わらせない考え方だ。需要や開発の進捗など事業に大きく影響する要因を把握し、どのような変化が起きたら何を判断するのかをあらかじめ整理する。そのうえで判断に必要なKPIを継続的に確認し、変化があれば次のアクションを検討する。四半期や半期の定例報告を待つだけでは対応が遅れる可能性がある、とした。判断基準も、個別案件の採算に加え、成長性やリスク、案件間の相乗効果を含めた全社ポートフォリオの視点へと広がる。ベンチャーやアカデミア、外部の生産委託先との連携が増えるほど自社だけで把握しきれない領域も大きくなるため、契約、業務プロセス、デジタル技術を組み合わせ、判断に必要な情報が得られる環境を整えることが重要だと説明した。
参加者からは、需要や競合動向が予測から外れた際の対応の難しさ、設備や人員への投資は数年前から必要になる一方で需要が想定を下回れば負担になるという指摘、全社のシナリオが増えるほど生産側の検討の組み合わせも複雑になるという声が挙がった。磯上は生産投資について「どのタイミングで、何を基準に判断するのか」がポイントだとし、環境が変わったときに複数の対応案とその影響を素早く比較できる準備を続ける必要があると述べた。
パートナーの神前尚澄は、機能横断かつライフサイクル全体での投資判断・収益管理を取り上げた。NPVやIRRは重要な指標だが、案件単位の採算評価だけでは複雑なポートフォリオ全体を管理しきれないとして、投資の価値、リスク、会社としての投資余力を合わせて捉える考え方を提示。創薬、増産、業務の高度化、維持・運用など目的の異なる投資を共通の評価軸で比較し、投資の性質に応じて評価の重みを変える方法を示した。営業キャッシュフロー、現預金、グループ内の資金、借入などを整理し、実行可能な範囲を見極める投資余力の把握も不可欠だとした。神前が強調したのは、承認後も評価を続けることである。全案件の相対評価、投資直前の個別審査、実行後のモニタリング、変化に応じた追加審査を循環させる。参加者からは、IT・DX投資では一度動き始めた仕組みをやめにくく維持管理費が増えるという課題や、成長投資と事業継続に必要な投資をどう分けて管理するかという悩みも示された。
需給計画とAI、そして標準アプリケーション
ディレクターの遠藤政典は、完成品の需要と上流の仕掛品・原料の生産計画がつながっていなかった製薬企業の改革事例を紹介した。各工場が個別に計画を立て、欠品を避けようと在庫を厚く持った結果、全体では過剰在庫が生じていた。改革では需要を起点に完成品から仕掛品、原料へと計画を連動させ、設備能力や使用期限を制約条件に織り込み、S&OPのプロセスも見直した。サプライチェーン全体の在庫責任を負う組織と、複数工場の生産配分を調整する体制も整備した。導入は対象を絞ったExcelでの試行からSCPシステム導入へと段階的に進め、現在はAIによる需要予測や需給調整の高度化を検証している段階だという。
ディレクターの高橋直之は、月次のPSI計画調整にAIエージェントを活用する構想を紹介した。デモでは生産能力超過に対しAIが「山崩し」を提案し、在庫増が保管スペースやキャッシュフローに与える影響の確認を促した。過剰在庫を抑える条件を加えると、欠品が生じない範囲で一時的に基準在庫を下回る案が示された。参加者の質問に対し高橋は「プロンプトの入力の仕方によって回答が変わってくる部分もある」とし、どこまで基準在庫を下回ることを許容するのかを業務ルールとして明確にする必要があると説明した。
Anaplan Japanの大場達生は、独自業務を細部まで再現しようとすると要件定義が膨らみ導入に時間がかかると指摘し、ベストプラクティスを組み込んだアプリケーションパッケージを土台に、有効期限やロット、供給制約など製薬固有の条件を拡張するアプローチを示した。業務の80%を標準で回すことを目安に独自性が必要な部分を絞り込み、導入完了までの期間に加えTime to Valueを重視するという。需要・在庫・供給能力と売上・利益・キャッシュフローを共通基盤で扱うIBPの視点も強調された。AIとしては、モデル構築を支援するAnaplan CoModelerと、対話型分析のAnaplan Analyst(当日段階で開発中の機能を含むデモ)が紹介された。
業界にとっての意味
今回の議論を貫くのは、投資管理と需給計画を別々の仕組みとして運用してきた構造を、一つの計画基盤へつなぐという方向性である。開発品の見通しが変われば必要な生産能力が変わり、生産計画の調整はキャッシュフローに跳ね返る。この連鎖を同じ数字で追えるかどうかが、判断の速さを左右する。
AIの位置づけも示唆的だ。高橋の説明にあったように、AIが在庫基準の許容範囲を自ら決めるわけではない。どこまで下回ってよいかを業務ルールとして言語化する作業は人側に残る。暗黙知のデータ化への期待と、予測に対して組織としてどう責任を持つかという問いが同時に出たことは、AI導入が業務設計の問い直しと不可分であることを示している。
クロージングで上西は、不確実な状況のなかで「早く、あるいは繰り返し意思決定をしていく」ことの重要性に改めて言及した。計画を立てる精度ではなく、計画を更新できる速度。製薬経営の評価軸が、そこへ移りつつある。