何が公開されたか
アステラス製薬は2026年10月29日、自社のストーリー記事「患者体験から問い直すペイシェント・セントリシティ」を公開した。一般社団法人サステナヘルス代表理事の小野崎耕平氏と、同社代表取締役社長CEOの岡村直樹、代表取締役副社長・人事担当CPO(Chief People Officer)の杉田勝好による対談を掲載したものだ。
小野崎氏は2025年に食道がんと診断されて手術を受け、2026年に再発した。現在も治療を続けながら全国で講演活動を行っている。記事には、特定の患者の体験であり典型例ではないこと、特定の治療法や医薬品を推奨するものではないことが明記されている。
小野崎氏は「病気でも元気」「日常を変えない」をキーワードに、出張を含む日常生活を治療開始前とほとんど変えずに続けていると述べる。通院した日に皇居を一周走ってから病院へ向かったこと、抗がん剤治療の開始後にマラソン、水泳、バイク(二輪競技)で今年になって自己ベストを更新したことが紹介されている。一方で、食道の摘出手術によって食生活は大きく変わり、外食も難しくなったという。
医療費と情報アクセスへの言及
記事のなかで具体的な数字が示されたのは、医療費の自己負担である。小野崎氏はがん治療で高額な薬剤を使用した。その薬剤は販売当初と比べて薬価が大きく引き下げられていたが、実際に患者として治療を受けると自己負担額は月に20万円近くに達したという。
小野崎氏は「制度のことは理解していたつもりでした。でも患者になると、見える景色がまったく違いました」「病院の会計で支払額を見た時に、金額負担の大きさに愕然としました」と振り返る。さらに「私はこれまで『安全地帯』から医療システムを見ていたのではないか。患者視点での想像力が全く欠如していたのではないか」と述べている。
記事では、日本の高額療養費制度に触れたうえで、企業の健康保険組合が付加給付制度を導入してさらに負担を軽減している場合があること、そうした制度を利用できない人にとっては治療費が生活に大きな影響を与えうることが指摘されている。
情報についても言及がある。患者の関心は治療選択肢にとどまらず、仕事や生活との両立、同じ病気を経験した人の体験にまで広がっており、医療の専門領域や企業の枠を超えるという。小野崎氏は、専門家による監修や厳格な社内レビュープロセスを経て提供される製薬企業の疾患啓発サイトには、さらに大きな役割を果たせる可能性があると感じたとしている。
背景にある「患者像」の問い直し
小野崎氏は長年、製薬業界や医療政策の分野で活動し、健康の社会的決定要因(Social Determinants of Health)の政策実装をテーマに、雇用・所得や生活環境が健康に及ぼす影響を考察してきた。頭では分かっていたつもりだったが、自らが患者となったことで、仕事や収入、家族構成、生活環境といった要素が患者体験に大きく影響することを改めて実感したという。
もう一つの軸が「がん患者像」とのギャップである。「がん患者はきっと苦しんでいるはずだ」「体調が悪いに違いない」というスティグマとも言えるイメージを向けられて戸惑うことが少なくなかったと小野崎氏は語る。新たな治療選択肢の登場に加え、副作用を軽減する支持療法の発展などによって患者の生活は大きく変わりつつある、との認識が示されている。
杉田CPOは、このテーマが医療に限らずダイバーシティやインクルージョンにも共通するとし、「本人がどう考えているかは分からないので、まずはしっかりと話を聞くことが大事です」と述べている。小野崎氏も「病気も多様性の一つ」とし、病気に対する受け止めや治療への向き合い方は、その人がもつ価値観、家族や雇用・所得などの状況、医療リテラシーによって大きく異なると語る。
また小野崎氏は、診断後の相談体制、薬剤を含む治療の選択肢の充実、就労支援やアピアランスケア(治療に伴う外見の変化への支援)など、国家戦略として取り組まれてきたがん医療の充実を患者として認識したと述べる。同時に、希少疾患や難病では診断がつくまでに長い時間を要するケースや十分な治療選択肢が存在しないケースもあり、必要な支援に十分アクセスできていない人がいるのではないかと感じたという。
業界にとっての意味
この記事の特徴は、製薬企業の自社メディアが、自社製品の価値訴求ではなく、患者の自己負担という金額に踏み込んだ点にある。「薬価が下がった薬」という業界側の見え方と、月20万円近い自己負担という患者側の見え方が同じ薬剤について並置されている。薬価をめぐる議論が供給側の視点で語られがちななかで、同じ事象の二つの見え方を自社媒体に載せたことは、情報発信のあり方として一つの選択を示している。
岡村CEOは、かつてがんが「治るか、治らないか」で語られることが少なくなかったが、今日では多くの患者が治療を受けながら日常生活を送れるようになったとし、「病気を治すことはもちろん重要です。しかし同時に、患者さんが自分らしく生きることも同じくらい重要ではないでしょうか」と述べる。そのうえで「今は治療法がない疾患にも、イノベーションの力で新たな治療選択肢を創り、届けること。それこそが、私たち、アステラスが果たすべき役割です」としている。
記事は、ペイシェント・セントリシティは画一的な考え方ではなく、患者の声に耳を傾け、学び、ときには自分たちの思い込みを見直しながら前へ進むことが大切だと結んでいる。同社は2026年5月20日に「アステラスのペイシェント・セントリシティ」、同年1月22日に「ペイシェント・パートナーシップ(PPat)」を公開しており、今回の記事はその延長線上に位置づけられる。