昨日の投稿ではLancetに掲載された国内の医療制度に関する論文について扱ったが、今回はもう一本の論文である国際戦略について述べる。

https://www.thelancet.com/journals/lanwpc/article/PIIS2666-6065(26)00125-2/fulltext

論文によれば、グローバルヘルス(国際保健)のガバナンスは、多極化を背景に深刻な機能不全に陥っていると指摘している。新型コロナウイルス対応で2021年に803億ドルに達した世界の保健分野への開発援助(DAH)は、2025年には2009年と同水準の384億ドルまで激減すると予測されている。保健分野は、国防や気候変動とは異なり、依然として任意の対外援助(low politics)の領域に留まっている。

論文の中では日本のグローバルヘルス戦略が陥っている停滞のサイクル(cycle of strategic inertia)の原因となる3つの構造的障壁を指摘し、2040年に向けた目標について提言している。

【日本の保健外交を縛る3つの構造的障壁】

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1.     グローバルな連帯の危機と資金の縮小
国境封鎖的な政策や地政学的な分断により、多国間協力に不可欠な信頼が損なわれている。日本の保健援助(DAH)は、G7諸国と比較して多国間機関への拠出割合が低く、二国間援助やアジア太平洋地域への集中という独自の特徴を持っている。これは地域的な影響力を維持する反面、集団的なガバナンスにおける日本の交渉力を制限する要因となっている。

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2.     縦割り行政による断続的なリーダーシップ(Episodic leadership)
日本のグローバルヘルス外交は、G7伊勢志摩サミット(2016年)やG7広島サミット(2023年)のような高頻度なイベント主導型の動員に依存しており、長期的な影響力を維持できていない。この原因は技術力ではなく、官僚組織の構造にある。外務省、厚生労働省、経済産業省、財務省などがそれぞれの論理で動いており、それらを統括すべき健康・医療戦略推進本部には省庁横断的な予算の権限や強制力が欠如している。このため、一貫した戦略が生まれていない。

3.     循環型モデルの崩壊と一方向の知識移転
日本の対外戦略は、日本の制度モデルをグローバルサウスに教える(輸出する)という一方向に偏っている。日本が高い制度的能力を持ちながらも社会実装や規制の柔軟性に欠けるという安定の罠(stability trap)に陥っているのに対し、新興ASEAN諸国はデジタルヘルスの導入などにおいて迅速なリープフロッグ(カエル跳び)領域にある。しかし、日本は国内政策をグローバルな動向から切り離しているため、他国からイノベーションを逆輸入して国内改革を行う機会を逸している。

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【人間の安全保障外交と循環型共進化の提唱】
これらの障壁を打破するため、本論文は“人間の安全保障外交(human security diplomacy)”への転換を提唱している。これは、保健を先ほどのLow Politicsから経済安全保障と地域安定の基盤となるHigh Politicsへ格上げするものである。
その中核となるのが“循環型共進化(circular co-evolution)”で、これは日本の制度的専門知識とパートナー国のイノベーションが相互に強化し合うモデルとなっている。例えば、タイの国民皆保険における戦略的購買の仕組みや、インドネシア・フィリピンにおけるデジタルプラットフォームと融合したプライマリ・ケアの拡大は、日本が過去に支援した基礎能力を基盤としつつ、今や高所得国の制度設計にも還元できる逆学習(リバース・ラーニング)の機会になると述べられている。

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【2040年に向けた3つの戦略目標と具体的なアクション】
以上を踏まえ、人間の安全保障外交を実践して国内の成長と国際貢献を両立させるための3つの目標が提示されている。

目標1:国際貢献と国内成長の調和(ガバナンスと制度の統合)
保健戦略と経済安全保障を融合し、グローバルヘルスを国家・世界の安定の柱として位置づける。具体的には、健康・医療戦略推進本部を格上げし、予算調整権限と人事交流能力を持たせることで、省庁間の分断を解消する。また、東南アジアからのmHealth(モバイルヘルス)やAI診断などを統合し、一方向の技術輸出から双方向の循環型共進化へと舵を切る。

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目標2:触媒的なリーダーシップを通じた連帯と地域の公共財の促進
アジア太平洋地域において、医薬品承認規制や、医薬品サプライチェーンを確保するための地域的な品質基準の策定を日本が主導する。さらに、G7広島AIプロセスの成果を足場として、AIを活用した医療技術の地域基準を構築し、偽情報・誤情報への協調的な対策を主導する。また、国境を越える労働者のために、電子カルテの相互運用性や医療資格の相互承認(MRA)を進めることも不可欠である。

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目標3:プラネタリー・ヘルスに向けた社会システムへの保健の主流化
日本の強みである産業公害対策や災害に強いインフラ構築の知見を活かし、防災を地域のプライマリ・ヘルスケアのインフラに統合する。交通、エネルギー、農業、都市計画などのあらゆる政策に健康の指標を組み込む“すべての政策における健康(Health in All Policies: HiAP)”を、既存の防災パートナーシップ(ARCHプロジェクトなど)を足がかりとして推進する。さらに、世界銀行やアジア開発銀行(ADB)といった多国間開発銀行(MDBs)の資金力を、WHOやASEANの地域保健フレームワークと連携させ、持続可能な資金調達を主導していく。

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